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ryo-ji
  • 作者:ryo-ji
  • 元・バングラ協力隊員です。
    ブログは残しながら,日本でのこと,ちょこちょこ書いていきたいと思います。
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日常会話

ある日の会話。

「RYOJI,この地球は誰が作ったか知ってるか?」

「いや,知らない。自然だよ」

「いや,たった1人が作ったんだ。」
「アッラーだ」
「彼が全てを作ったんだ。」

「それは,ムスリマンにとってだよね。」

「いや,じゃあ誰が作ったんだ?なんであるんだ?」
「お前の宗教では誰が作ったんだ?」

「う〜ん…宗教は特にないから」

「宗教がない!?じゃあどうするんだ?大変じゃないか?俺はアッラーがいてくれてとても幸せだ。」

…て感じの会話が,結構普通にあります。
宗教やこの世界へ対しての認識の違いを,大きく感じる瞬間です。
KTCの「宗教」講座で,
「彼らは,信仰をすることに幸せを感じている。」
と言っていたことがよく分かります。
確かに。
彼らにしたら,「宗教がない」と言ってみたり,「大切じゃない」
と言っている僕という存在は,不可解で,不幸な存在であるかも知れません。僕の周りには生まれながらにして,多様な宗教があって,逆に確固とした宗教がない。けど,それが「普通」。彼らには生まれながらにして確実な宗教があって,それが一つの自信でもあり,存在価値でもある。

一緒にいたベンガル人は,僕らを「マテリアリズム」と表現しました。“物質主義”自分は決してそんなつもりはないし,むしろ,物では表現されないものに評価を置いていきたいと思っていたけど,宗教により精神的に多を得ているベンガル人にしてみたらそうなのかも知れません。

彼らを見ていると,存在の置き場が不安定であったり,アイデンティティが不明確になりつつある。と言われる今の日本の中で,宗教性にその位置づけを求めようとする根拠も,賛同するわけではないですが,少し分かったりします。

ところで,この話には続きがあります。

「お前はたくさん知ってるもんなぁ。僕はなにも知らない。だから,アッラーが作ったと信じる。だから,ここでたくさん教えてくれ。」

「俺は子どもたちが本当に好きだ。この学校の子どもも,他の子どももみんな。だけど,俺は何も知らない。だから教えてくれ。」



別の機会,別の友人。


「この国は貧乏だ」
…出た,“貧乏論”…(ベンガル人は「貧乏だから」で済ましてしまうことが多いです)

「きっと,ダカやボリシャルにいたら実感できないと思う。」
「村では,仕事がないし,金がなくてご飯も食べられない。家もない人も多い。ryojiも来てみてよ。」

「もちろん行くよ!!」

「教員は給料が少ない。けど,俺は教員になりたいと思った。」
「ひとつは,俺の先生は質問したり,『わかりません』って言うと,『なんで分からないんだ』って怒ってきた。」
「これは違うと思う。俺は,子どもたちと友だちになりたい。怖がったりするんじゃなくて,仲良くなりたい。」

「友だちだけじゃだめだよ。親にもならないと。」

「もちろん。時に親に,時に友だちに,時に兄弟になるよ。」
「もう一つは,村は貧しい。学校に行けない子どもたちがたくさんいる。彼らは学ぶことができない。だから,ずっと貧しい。俺は,嫌なことがあったから,彼らには嫌な思いをさせないようにがんばる。」
「そして,彼らは時に家がないし,もちろん,金もない。だから,俺はただで彼らに勉強を教えるんだ。」
「教員は給料は少ないけど,そこで頑張れば,きっとアッラーが見ていてくれる。」


もちろん。
こんな良い話をしょっちゅう聞けるわけではないです。
けど,すごい嬉しかった。
理由は言うまでもないですが,1に自分,2に自分というこの国の流れの中で,「教えたい」「友だちになりたい」など子どもを思う発言が聞けたこと。
それが一番です。

結構凹みがちな今日この頃ですが,こんな話ができると本当に元気が出ます。


明日から,首都ダカに行ってきます!!

歯,治さなきゃ…
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