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ryo-ji
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  • 元・バングラ協力隊員です。
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ひさしぶりの出歩き

今日は,朝少し崩れたくらいで,天気もだいぶ良かったので,題名にある通り,久しぶりに「ただなんとなく」ボリシャルの町を歩いてみました。

ただ,目的地を決めないと本当に漠然としてしまって,いつも通りのコースになるので,町の端(自分の家も反対の町の端)にあるロンチガット(船着き場)のさらにその先。地図上では小さな島(中州?)が見えるところを目指して行くことに。

途中,小さなバジャールをのぞき,



牛の解体作業の一部を見たり,






紙のリサイクルの収集場をのぞいてみたり…




そして,いつの間にか,村というか,おそらく貧困層が集まっているであろう場所に到着。その周辺に来たときから少し雰囲気が変わる。ロンチガットを過ぎたあたりから,充分変化は見られたけど,橋を渡り,完全に変わった。とにかく家が密集していて,子どもは服を着ていない方が多い。
そして,大人が極端に少なく,ひたすらわらわら出てくるのは子どもばかり。

それも,「どこにいたの??」って聞きたくなるような数が集まってくる。まぁ,外人が珍しいバングラにあって,しかも,この貧困街。外人が来て騒ぐのは当然かも知れません。加えて,調子に乗った子どもたちが,行く先々で

「外人だ!!外人が来たぞ!!!チンチョンチャンだ!!」
って言ったらそりゃ集まりますとも。




そして,集まっては後ろから横から前から,聞こえてくる「チンチョンチャン」。

普段だったら,にこやかに過ごすところ,「チンチョンチャン」って聞くだけで機嫌が悪くなる自分。理由は,興味本位であったり,無邪気(良くも悪くも)さから来ているのは分かってはいても,その言葉から,侮辱や軽蔑の意味が感じ取られ,どうしてもスルーできないんです。これまでも,怒鳴ったり,直接注意することも…
それは子どもも例外じゃありません。
かなり,嫌な感じですが,「こっちは言われて嫌なんだ」てことを伝えてるんだと前向きに捉えて下さい。厳しく言わないと年齢関係なく伝わらないので。

おかげで,せっかく来たのにこっちは終始不機嫌。

けど,初めて竹の橋を渡ったり(怖い!!),ノウカに乗ったりと楽しむことはできました。




けど,帰り際も「チンチョンチャン」。
ちょいリアルに中国人の話し方を真似してるのも聞こえたりしたけど,そもそも,この人たちは実際に中国人に会ったことがあるのか??
少なくとも,任地に来て2ヶ月,ボリシャルで中国人の方とお会いしたことはありません。

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帰り道,部屋の収納等々を買うために一番大きなバジャールに。

断食が始まった当初は,だいぶ静かだったバジャールも今は断食明けの“イード”という大きなイベントに向けてたくさんの人が集まってきます。人の出入りが激しいため,リキシャの進入も制限されているみたいでした。
おかげで店は大繁盛。

日本の屋台みたいに,綿飴らしきものや,小さなおもちゃを立ち売りしてる人たちも目立つようになってます。




そんな中,さらに目立つのが,
物乞いです。

しかも,ここでは,「単に貧しい」のではなく,体に障がいを持った人たちが道ばたに寝転がり,
「アッラー,アッラー」とつぶやき,祈りを捧げながらボクシーシを求めている。
手がない人。
足がない人。
足があっても,骨が極端に弓なりに曲がっていて,明らかに立つことはできないであろう人。


そこには,明確な格差がある。
お祭りに買い物に来ている客とそれに合わせて来る物乞い。
日本だったら,大晦日か祭りの縁日の道の真ん中に障がいを持った物乞いが寝ていると想像してもらえたら近いかもしれない。






ものすごく失礼なことだと思う。

言ってはいけないと思うし,思うこと自体も,自分の人間性を疑われるかも知れない。

けど,感じたことをあえて,率直に書きたい。
自分は彼らを見て,「彼らの人生」というものを考えざるを得なかった。

恐らく,彼らの一生は物乞いをすることで過ぎていく。

彼らの「人生」って?

彼らの「幸せ」って?


きっと,これも,自分の価値観でしかなくて,神というものが強く根付いているこの国では,全く違った感覚があるのかもしれない。そして,それを彼ら自身も受け入れられ得るのかもしれない。
もちろん。
「幸福感」というものは極めて多様であり,一つの価値観で考えるというのは傲慢とも言えるかも知れない。

けど…

けど,そんな凝り固まった自分の価値観の中からでは,なんとも言えない感情が吹き出てくる。「気の毒」とか,「かわいそう」なんてシンプルなものではない。このコントラストに対しての感情は,今は言葉では表現し難い。

確かなのは,

ただ,ひどく寂しく感じた。ということ。































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